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1979~1982!!

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サーファーカットの流行の元となったものには諸説あるみたいですが、当時有名なハリウッド女優のファラフォーセットメジャーズのヘアスタイルという説が有力ですね。



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060.gif確かにナバーナの前は、あの不二家の御曹司の方が経営されていましたキサナドゥです。時代を作っていましたね、遊ぶのが好きな人が集っていました。現在は、場所も西麻布に変わり月に2回あのキサナドゥの夜が再び!選曲もGoodです。未だに、50代~40代のオジ、オバが踊ったり、叫んだり(笑)。この人、昔綺麗だったんだろうな?と思わせる人もチラホラ・・・そしてあの頃にお店でも会ったことのある人もチラホラ。


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地下2階から10階まで全てのフロアがディスコなんてスクエアビルだけでした!






この頁はまだまだ途中なんですよ、これにyoutubeの貼り付けとかいろいろプラスする予定ですがいつの日になるか?まだ未定です。
by tetujin2011 | 2014-11-05 00:28 | 快楽通信

16~22歳 NON STOP!





                                  



                                                 (懐)・・・止まりません、(T.T)、それも3時間なんて贅沢 。
by tetujin2011 | 2014-02-26 22:25 | 快楽通信

夏だ!海だ!達郎だ!




夏だ!海だ!達郎だ!_a0241725_011214.jpg                  ちょうど1週間前 2013.7.27





                  まだ夜が明ける2時間前に眠らない街 東京を走り抜けて





                  千葉に向かう~懐かしい!波乗りの為だけでハンドル握って・・・













夏だ!海だ!達郎だ!_a0241725_095597.jpg                   道は空いてて、かけてるCDもあの当時と一緒の 山下達郎!





                   だからスイスイ走れちゃう(^.^)v! 御機嫌~疲れが吹っ飛んじゃう。





                   やっぱり夏だ!海だ!達郎だ!海に近づくにつれ景色が変わって、





                   達郎の曲も次から次と・・・それぞれのあの頃が甦って来て苦笑い。





060.gif いつか  踊ろよフィッシュ   悲しみのJODY    MUSIC BOOK    LOVE SPACE   ラブランドアイランド   JUNGLE SWING   DOWN TOWN   ドリーミング・ガール

Ride on time   高気圧ガール   パレード   愛を描いて   Big Wave    SPARKLE   I LOVE YOU ... part 1   マジックウェイズ   Bomber   Silent screamer




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実は、目指す一宮ポイントに着く前にとてものどかな水田地帯を通るんだけど、気になる看板が・・・営業時間は記されてないけど確かに DISCO という文字が!(笑)。千葉県代表 ゆきほちゃんコメント下さい、九十九里では流行してるの?いやいや間違いなく、昭和の時代の忘れ物ですね(爆)。当時の夏は、日焼けした皆が行ってたんだ、きっと!偶然面白いものを発見しました。



060.gif ターナーの汽罐車   ONLY WITH YOU   LET'S DANCE BABY   潮 騒   FUNKY FLUSHIN'  さよなら夏の日  WINDY LADY  Solid Slider   アトムの子  



曲の順番はデタラメだけど、夏路線、海路線にたまに顔出す大人路線があって、心地よいコーラスと歌われてる詩が今でも好きなことを認めてしまう訳である。あの頃は、社会生活には当然適応出来ないだろうというくらい海、海、海で波、波、波さえ良ければもうそれ以上は求めませんって顔しながら本当は恋愛も流行も欲張りだから欲していた責任感皆無の十代後半から二十代前半(笑)。だけど、段々と不安になりながら学生を卒業するんだけど・・・いつかは必ず訪れる青春の終焉、子どもから大人への階段、ポーンとはじき出されてデビューする社会、周囲が変化を遂げていく中での自分の立ち位置・・・それらは全て自分には無視したくても無視出来ないくらいの大きな題材だった。皆さんもそうだったでしょ?僕はとりわけ気付くのが遅かった、いつも。



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060.gif Endless Game  donut song  Love Talking  YOUR EYES 060.gif ・・・ という訳で32曲もupしちゃいました! ・・・ ひととき   夏への扉   So Much In Love 060.gif


058.gifいえいえ3曲また追加してとうとう合計35曲になってしまいました。中でも大阪の070.gifDISCO071.gifでかかってた『FUNKY FLUSHIN'』と『Love Talking』と『夏への扉』には個人的思い出がいろいろ
  とあって大好きです。皆さんが好きな達郎の曲はありますか?ようつべYou tubeでは、当然削除対象にあるので、いつまで聴けるかわかりませんが是非楽しんで下さい((^:^))。



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by tetujin2011 | 2013-08-04 00:09 | 快楽通信

ソウルとんねるず・・・!



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070.gifトックン
トックン って確か僕らの1コ上、当時は Surfer の格好がメチャメチャ似合っててビーサンで踊りにも来てた。波乗りの腕前は見てないけど・・・でも踊りも上手だと上手そうに思ってしまってた(笑)。
踊りの振りを考えるのと踊りを綺麗に見せるのは全く違う技術で・・・痩せ型で手足が長~く見えたトックンは他の人も考え付かないオリジナルの振り、あの リフラフ のサムもヤッコもそしてZOOのタコも皆、さすがと思っていた先輩だ、確か綱かつみというモデルの女の子とよく来ていたね。よくコメしてくれる ゲット さんも仲良しだった。動画はソウルとんねるずに出たトックンこと新倉さん。


コメくれた pin さんはうどんが大好き、可愛くて、女の子なのにFunky Musicが大好きで・・・僕の親友の大阪摂津市出身のMと付き合っていたな、二人でうどんの話ばかりしてたぞ!Mも踊りが上手で・・・pinを口説く時には、『君は本当はそういう子じゃないんや、本当はもっとな優しくて、思いやりがあってな・・・』といつもの台詞を吐いていた!人差し指を立てて!そんなMを思い出す 1曲 。


Mは吉祥寺で同じく親友Kとマンションに住んでいた、Kもまた踊りにはまっていた、Kは本当に女の子にもてた、何人彼女がいたんだろ?、Kは群馬出身、僕らの中では一番賢くて、冷静で、人望があって、努力家、スマートクッキーな・・・若い時にはちょっとトシちゃんに似ていたような、でもあんなバカっぽくないよ。踊りのセンスは抜群だった。そんなKを思い出す 1曲 。


070.gifニューヨーク・ニューヨーク
ニューヨーク・ニューヨークのスレッドを発見!巨大な掲示板 2ちゃんねる にありました。左横を見て上から下までスクロールするととんでもない数のジャンルがあり、1つ1つを開くとまたとんでもなく膨大な数のスレッドが出現。ちなみにこのニューヨーク・ニューヨークのスレッドは音楽のジャンルのディスコ。今でこそ、fbやTwitterなどが露出することにこのうえない喜びを覚えるユーザーが見てみて!と作れる掲示板で主流だと思うけど、つい5,6年前までは実話も噂話も作り話も一緒くたに不特定多数のユーザーに伝えられる掲示板の代名詞がこの2ちゃんねるだったと思う。何年振りかで覗いてみた。そしたらなんと、218コ目の書き込みで我々が出ていた。こんなオイラ達を覚えてて書いてくれた人がいるなんて・・・ビックリだ! どの女の子かな?


合田君、島袋博、橋本、宮様、よしひろ(今はツテないが)、Kこと唐沢、Mこと正木・・・これ読んで誰か心当たりないかな?とりあえず、左上の字の ニューヨーク・ニューヨーク をクリックして218までは読んでみて、途中わかる話も218以降もそうそう!なんて思う話も懐かしくいろんな人が書いてます。しかし、なんか日本のどこかで我々を憶えててくれて、活字にしてメッセージしてくれて、有難いような、恥ずかしいような~いずれにしても 今では2人の子持ちさん 有難う御座います。憶えていただいてて一同光栄です。

                                
【新宿】ニューヨーク・ニューヨーク                    ソウルとんねるず・・・!_a0241725_23494924.jpg               
1 :かず:03/10/25 01:55 ID:2kUoowkm
常連だった人いる?
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218 :今では2人の子持ち:2005/11/23(水) 02:22:09 ID:MFPCsavN
40年生です。こんな懐かしいNY.NYのスレがあるなんて、感激!毎週、土曜日クラスの子と行ってました。あの頃常連だった、合君、伊藤ちゃん、沖縄のトニ-サントス、橋本君、宮様、よしひろ、拓殖大学の唐沢君、正木君、その他個性的な面々が一杯いましたね。皆、元気!          
|
769 :しん:2013/02/24(日) 19:14:33.30 ID:HfESjbt/
みつぐさん 元気ですか
化石のしんです                       

2013.4.12現在で確認したら、769コ目2月の書き込みが最後です。スレッドは1000で打ち止めですからあと少しで埋まってしまいますね。1000になると終わることになり、読めなくなります。



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060.gif毎回変わる豪華アーティストと、そのライブ演奏に合わせてソウルトレイン・ダンサーが踊るコーナーが人気を博し、そのダンサーの中からは80年代の人気グループ・シャラマーも誕生した。 1971年10月2日から2006年3月25日までの35年間放送され、アメリカで最も長く放送された番組としても知られている。こちらが本家本元の Soul Train 1974 です!




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  Shalamar (Jody Watley) は自分が最も好きなアーティストです!
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           004.gif特にこの3曲に弱いです!(T。T)


The Right Time For Us


Make That Move


Real Love (Jody Watley)


072.gifダンサーでもあるヴォーカルのジョディ・ワトリーの艶っぽい声が好きです。





ソウルとんねるず・・・!のタイトル通り、当時のこの番組にトックンが出演したことは、おそらく1977年くらいから1982年くらいまで遊んでいた連中(先輩後輩MIX)は驚かれたことでしょう。


50代になっても DISCO の音でも箱でも、いろんなエピソードが忘れられない当時のDISCO。現代は、fbでも同好の趣旨の方が多くいらっしゃって、さらに懐かしく聴ける曲が増える機会に恵まれています。便利な世の中になりました。
by tetujin2011 | 2013-03-26 14:47 | 友友財産

ロドちゃんも偶然がもたらす必然の再会

            



                 佐藤ロドリゲス博達・・・Hawaii~Hulaの世界の著名な人です。パシフィコ横浜のハワイアンフェスタの時ある
 
                               ブースでこのデザインでオリジナル作れないかな?と思い立ち寄ったのがきっかけ。30年ぶりの再会。
ロドちゃんも偶然がもたらす必然の再会_a0241725_1402170.jpg

お芝居をやっていた20代の前半でしたね。まだ石坂さんのところにいました。売れないし、何やっても、中途半端な当時の自分です。それでも相変わらずに踊りにいくのが大好きで・・・赤坂だったと思います、ダンサーのオーディションが受かり、練習と称してはスタジオやDISCO(現在毛がないのでアフロは卒業してます、でも懐かしのアフロはこれ!)で練習~ただで入店出来るし女の子はナンパ出来ちゃうし、よく通っていた。このブログでも何度か出て来るDISCO(主に音楽&自分の中での歴史)、住んでいたんじゃないのと言われることもありました(笑)。




ロドちゃんも偶然がもたらす必然の再会_a0241725_292455.jpgその頃大和在住でN大生だったロン毛君&もう1人Surferだった確か日吉のお友達・・・同じくオーディションに受か

って仲良くなって・・・当時世田谷に住んでいた自分でしたけど、赤坂から車で来てたロン毛君に相模大野の実家ま

で送ってもらうことに(途中町田でお腹減って深夜のラーメン~とん太~まだ食べ盛りの3人でした)~それからも

しばらくの間よくスタジオで彼らと一緒になりました。

数ヵ月後三軒茶屋で・・・三宿に住んでいた自分はR246を歩いていてまたロン毛君達と遭遇~ミスタードーナツに

入ってまたドーナツをほおばる・・・まだまだ食べ盛りの3人でした。その後電車に乗り日吉に行きまた夜を通して遊

んだ記憶があります。楽しかったな。

オーデションで受かった大学生のダンサーロン毛君、特に女性とペアで踊るジルバなんかもメチャメチャ他の人

より上手でしたね。




ロドちゃんも偶然がもたらす必然の再会_a0241725_1481127.jpgパシフィコで話したハワイアンデザイナーの方は、顔がジャンレノに似ていて、通り一篇の挨拶からフェスタが終わってから互いに会って話をまとめていく意志を確認して別れた。途中同業の共通の人の名前も行き交う2人の会話は間違いなくビジネスライクなものでした。数日後に、彼から連絡を貰う。町田東急のスタバで会い、彼のデザイン、作品についての話から始まる。


町田、顔がジャンレノ風味・・・30年の時間の中で思い出すこと何度かあったあの記憶・・・初めて会って、互いに踊るの好きで、ラーメン食べて、また偶然会って遊んで、踊り語って波乗り語って、面白いもんだな若い時というのは!、明日の責任がないから共通の楽しみや価値観だけですぐに仲良く打解けて遊べちゃう、時間だけはたっぷりあるから理屈じゃない感覚だけなんだね、楽しかったことを思い出すことは30年の時間の中で『あの2人いい奴だったな、今何してるのかな?』というタイトルで何度かありました。



頭の中整理できて、今ここは町田、ジャンレノに似た個性的な顔立ち、踊り・・・じっくり顔見て『デザイン、作品よくわかりました。あのさぁ~間違ったらごめんなさい。ただね人からは超人的な記憶力と言われることが多々あって、おそらく間違ってないだろうと思うんだ。~あんたさぁ~赤坂で踊って車で送ってくれて、町田でラーメン食べて、三茶で再び会って・・・』(僕はよく誤解されるんですが、親近感がグーッと増しちゃってある一線を越えると突然『あんた』になってしまう、よくわかってもらえない人には100%失礼だと思わせているようだが仕方ない)



『送りました、町田でラーメン食べました、踊りました。嘘!あん時の伊藤さん!』・・・それからの会話は仕事話はゼロ。30年ぶりだから仕方ありません。これも僕の悪い癖で商売ッ気ゼロになること。以来、今でも懐かしくもあり、好きなHawaiiのことでも話せる頼もしい世界あり、再会出来た嬉しさから互いに連絡できることに感謝感謝。町田で会っていることと佐藤君という名前とズバリ顔・・・やっぱり忘れてなかった。未だ商売やってないのが自分らしい(笑)。それにしても現在は短髪ですけどロン毛君立派になられましたね。



ロン毛君なんて怒られてしまう。佐藤ロドリゲス達博さん、たいした人になられましたね。


佐藤ロドリゲス達博

BANYANS ALOHA DESIGN
1964年東京都渋谷区で生まれるが親の仕事の都合で出世後間もなくサウジアラビアにて家族と8年間を過ごす。通算14年余りの輸入車セールスを経て2005年、ハワイが好きと言うだけでハワイアンデザイナーと名乗り活動を開始する。数々の出会いに恵まれ、有名なハワイアンミュージシャンのTシャツやポスター、CDジャケットなどのデザインに携わる。自らがデザインしたTシャツやパーカー、アロハシャツやアクセサリーなどをBANYANS(バニヤンズ)と言うブランド名で展開。デザイナーはロドリゲスで販社はBANYANS(バニヤンズ)と、一人で分担する。
今後は個展なども定期的に催し、あらゆる製品を含めて人様に自分のデザインで元気になってもらいたいと切に願う。モットーは「ゆるゆる」。



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彼のfbでのつながりは本当に凄いものがあります。ロドちゃんの人柄によるものですね、間違いなく。『いいね!』の反応なんか短時間でとんでもない数字になるし、『コメント』だって普通の人なんかよりはるかに多い。それだけ彼のファンの人が多いことに驚かされる。共通の友人もいることは、僕にとっても嬉しい限りだ。以下fbでの彼の自己紹介の一部です。


       ハワイに魅せられて、ハワイの仕事しています。でもハワイに限らず、色々なフィールドにも手を出しています。人との繋がりは、当たり前のように奇跡をもたらしますね。

                                       一日一日が特別、だから「今日はいい日だ!」この連続です。

                                          色々気付き、学ばせて頂いており、それは一生続きます。


                      Hawaiiをコンセプトに精力的にイベントでは大活躍されています。これからも応援していますし、作品も期待しています。



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                                                                  ちなみに僕にも当時は髪がありました。まさにロドちゃんと知り合った頃です。





                                                まだまだ途中だけどUPしちゃいます。
by tetujin2011 | 2012-10-11 01:48 | 友友財産

5月17日・・・

5月17日にかつて DISCO QUEEN  と呼ばれていた Donna Summer  が亡くなりました。5月17日・・・_a0241725_23191994.jpg


今日は御冥福をお祈りしながら、Donna Summer と 『記念すべき10回目の更新』 の続編と 自分の年代を回想しながら
とりとめもなく書こうと思います。だから長くなるでしょう。完全アップまで3日くらいかかると思います。


fb でも彼女について多くの人がアップされてました。やはり自分もそして40、50代の皆さんにはショックだっただろうと思います。


リンクをいつもより多く貼るので、それぞれ最初の部分だけでも楽しんでもらって、その後は飛ばしてまた次のリンクを是非楽しんで下さい。いつもよりは、見応え、聴き応えあると思いますが、最初にお断りしておきます、かなりしつこいです。。



Love To Love You Baby(1975) ・・・忘れもしない 15歳 ・・・初めてシンナー吸った時の曲はコレでした。町田M中の奴と・・・痛いです。
バックで踊るダンサーの雰囲気が何とも異様なのとコレでもかという喘ぎ声が印象的です。ドナ・サマーはショービジネスの世界で生きていこうと真面目にミュージカル『ヘアー』のオーディションを受けて合格、出演もしていた訳で・・・一方僕は何の罪悪感もなく真面目にシンナー吸ってました。愚かな15歳のスタートです。石トロではなく純トロです(笑)。


I Feel Love (1977) ・・・17歳初めて行ったDISCOは、新宿でも渋谷でも当然六本木でもなく錦糸町でした。つまり錦糸町の友達に連れて行かれた訳で 17歳 の自分はドキドキでした。親に反抗して家出をして、泊まらせてもらったのが錦糸町の SY の家。SYは悪かったし、自分のような田舎者と違ってすすんでたし、ませてた。当時のDISCOは不良の巣窟といった感じ・・・この曲がかかっていた。SYは何週間も泊めてくれたしよくしてくれた、今更ながら有難う。DISCOで出会ったSYの先輩も初めは怖かったんだけど、可愛がってくれた。特に女性のちょっと不良なお姉様がたが1、2歳しか違わなくても妙に大人に見えたのを覚えている。きっと何でも知ってるんだろうなァ!と思っていた。そんなお姉様に言われた一言目は 『見ない顔だね』 ・・・だった。今考えると昭和の映画 『東映女番長シリーズ』 で出てくる台詞みたいだ。17歳の体には実は魔物が棲んでいて、それはそれはむせ返るような年上女性に色気を感じてしまったことは言うまでもない。まさにドキドキ!17歳~18歳錦糸町デビューを果たし、いつしか新宿の DISCO『プレイハウス』 に行くようになった。高3・・・18歳・・・プレイハウスがリニューアルして何ともおバカな名前の店名に変わった。
それが 『ニューヨーク・ニューヨーク』 ・・・皆さんもこのキーホルダーに見覚えあるでしょ!



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このニューヨーク・ニューヨークと、カンタベリーハウスギリシャ館と、同じくカンタベリーハウスビバ館、トゥモローUSAに入り浸るようになりかかっていたのは McArthur Park  でした。これはね、正直名曲中の名曲だと思います。ホントによくかかってた。ドナサマーの楽曲は、絶対的SOULとはまた違って、もちろん重厚なFUNKとはほど遠い、やっぱりオリジナルであり、DISCOであり、ドナサマーなんだと言える。メロディに合わせての伸びのある声質とバックバンドに負けない声量プラス表現力にどうしたって心を奪われる。自分の体にもちろん魔物は棲んでいたけど、エロい意味じゃなくて彼女の歌を聴いて、体に電気が走ったことも記憶している。東京屈指の盛り場(死語)新宿は、やっぱり全てが大きい、錦糸町にはないもの、つまり十代のガキンチョの遊びに更なる深みを教えてくれた、こんなお店、こんな曲、こんな人・・・全てが衝撃的だったから、更に追い求める気持ちが強い以上学校帰りに新宿に行くという行為は極めて僕の中では健全?なことだった。





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そして世界中にムーブメントを起こす映画がやってきた。最近お茶の間を同性暴行疑惑で賑わせたジョン・トラホタルいやジョン・トラボルタ主役の、誰でもが知る作品といえばこれである。 Saturday Night Fever (1977) ・・・これ当時夢中になって聴いてませんでしたか?BeeGeesでは"Stayin' Alive"、 "How Deep Is Your Love"、 "Night Fever"、"You Should Be Dancing"あたりの4曲と "More Than a Woman" ・・・これは黒人3人組のTavaresというグループですね、いい曲です。そしてこの曲もはずす訳にはいかない、 "If I Can't Have You" ・・・うるさい曲ばかりじゃ疲れるでしょ、箸休めになる?ような1曲はYvonne Ellimanという女性シンガーです。当時、高校時代地元の KJ とこの映画を観て憧れたことも、同じく勉強出来る秀才なのにやたら洋楽に詳しいチョイワルの OT にアーティストのことを教えて貰い・・・二人の親友と過ごすことが出来た素敵なあの頃の時間は忘れません。

日本の若者が皆、フィーバーフィーバーと言っていた訳であっという間にDISCOブームは世の中を席巻しました。そしてジョン・トラボルタの名前を一躍世間に知らしめ、彼の代名詞的傑作であるこの作品がまさにきっかけだった訳です。現代のラップやクラブミュージック系の踊りに比べたら、振り付け自体はずいぶん古くさい感じがするけれども、トラボルタの躍動感、色気、カリスマ性、トータルに輝くものがあるといえるでしょ。
何よりも この映画の良いところは、新しいパートナーであるステファニーとの関係を、よくあるベターッとした恋愛物語にしなかったことだ。
この二人に、「愛してる」「私もよ」という台詞をもしも、連発させる脚本であったならば、退屈しか覚えない駄作に転落していただろうと思う。




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1977年『Saturday Night Fever』に続くDISCOを舞台にした映画、1978年公開 『Thank God It's Friday』 はドナサマーが主役。この映画ではコモドアーズも出演、今考えるといくら DISCO QUEEN なんて呼ばれたドナサマーですが、あのライオネルリッチーもいたコモドアーズは当時スーパースターですから、共演なんて本当に凄いことです。文字通り、物語の最後の1曲の 『Last Dance』 は素晴らしい。舞台となったLAのDISCOの店名は 『ZOO』 。店で歌わせて欲しいという歌手を志す役のドナサマーです。初めは、DJにケチョンケチョンにあしらわれ、しかし歌い出した途端に、その場にいた者を魅了するという非常にわかり易いストーリー。実際、ドナサマーは上手いから、その歌唱力に誰もが舌を巻き、 『ZOO』 の店内は大盛り上がり・・・お約束です。

個人的にはダンスのシーンがもう少し見たかったので、ちょっと場面が少なくて不満が残りますけど、ドナサマーとコモドアーズが出るから・・・まあいいか・・・という気分にさせられますね。B級映画といえばそれまでですけど、なかなか好きな作品です。
関係ないけど15歳の時に初めて吸ったシンナー、気が付いたらいつの間にかやめられていました。






18歳になっていました、相変わらずのDISCO通いは続いていました。気に入った曲は必ず DJ の人に訊き、OT にも教えてもらい、気が付いたら相当な量のレコードコレクターになっていました。そして、お店で会う見たことのあるお客や従業員の人と自然に言葉を交わしていき、加速度的に夜遊びは濃くなっていきました。そんな時、前からアフロヘアーで踊る SさんTさん と話をするようになった。とにかく、この2人はダンスが上手い・・・彼らが踊り出すと、自然に丸くスペースが広がって、誰もが観賞モードになってしまう。新宿のDISCOで一番踊りが上手なんじゃないか!と素直に感じていた。2人は自分と同い年だった。『ミッキーマウス』というダンスチームに所属していて週に2回は、ニューヨークかカンタベリーのいずれかの店にいた。メチャメチャアフロがカッコ良かった、絶対ダンスを仕事にしてる人間だろうと思っていて、年齢が一緒と聞いて驚いた。 S は、埼玉から来ていて独協高校の3年生だという。事実僕は、 S のとってもしなやかでキレイに見えるショーダンスと T のリズミカルで速いファンキーフルーツを見逃さずいつも夢中で見ていた。




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5月17日・・・_a0241725_2348499.gifリフラフというグループで、マウンテンデューという飲み物のCMソングにも起用された 『ANO・・・娘』 ・・・19歳の S 。新宿の仲間内で最も早くに芸能界にデビュー。

ちょっとふざけた曲だけど、それでも新宿に集まっていた連中は、皆 S のデビューを喜んでいたし応援していました。 S ・・・本名は丸山正温。

「soul Train」を完璧パクリで作ったタモリ倶楽部の「Soubu Train」というコーナーでも踊っていましたね。これは後に人気を博すトンネルズ
                  の「ソウルとんねるず」のモデルになったコーナーです。
僕らは毎週金曜日10chで放送のタモリ倶楽部を、当時普及し出したビデオに録画するのは当たり前でした。ホント楽しみでもあったし。VHSまたはBetaどちらかの時代です。






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19歳のあの頃も DISCO QUEEN  ドナサマーはHITを連発していた。当時、誰でも聴いているだろう代表的な曲は、やっぱり"Hot Stuff"と"BAD GIRLS"でしょう。DISCOでは  "Hot Stuff" が終わりかけて、レコードチェンジかと思ったらチュッチュッピッピッ~チュッチュッピッピッでそのまま "BAD GIRLS" を続けてかけられることが多かった。理由は、2曲とも同じLPに曲続きで収録されてるからなんですね。

その頃、ニューヨークもカンタベリーハウスもトゥモローUSAがリニューアルしてカーニバルハウスになってそこにも、見慣れない集団の男女が数多く台頭して来ていた。まるで、オウム真理教のような集団です、個性的といえば個性的だが・・・土曜日なんか異様な人数でお店にいるので、ちょっとウザイ。後に原宿の歩行者天国を占拠する『竹の子』です。どんどんドンドン増えて来て『竹の子族』 になっていったことは言うまでもありません。
そんな彼らは"Hot Stuff"と"BAD GIRLS"を超好んで踊っていて、ちょっと邪魔だったな(笑)。
再び関係ないけど、新宿駅東口や南口の街角では危うい兄さんがよくシンナーを売っていた(笑)(笑)。


           


                
                           

                              




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残念なことだが、リフラフのレコードはそれほど販売数を伸ばすことはなかった。何年後か、六本木の 『ナバーナ』 でアルバイトをする S に会った。互いに懐かしくて言葉を交わすものの、  S は仕事中。もっと話したかったけど・・・本当に偉いなと、全く別な日には同じくリフラフメンバーの1人 Y の仕事する姿も白金の 『ダンステリア』 で見かけた。
       
          

            
           冷静に考えた。もしかしたら、彼らは再び狙っているのかも、浮上するチャンスを?





1990年・・・世間で大爆発した T のグループは誰もが知っているはずだ。ダンス番組の 『DADA』 から飛び出た彼ら、 S の次に、時流に乗って。 T ・・・本名は 野嶋千照 = TACO 。
HIT曲は現在のEXILEもカバーしている。 『ZOO』 の "Choo Choo TRAIN" は凄かった。ダンスの内容は80年のものとはぜんぜん違えども、TACO の踊りは素晴らしく上手くて感動した。そして追うこと2年・・・1992年、ボーカル+DJ+ダンサーのユニット 『trf』 SAM こと S の踊る姿を、再びTVで観て感激した。こちらも振り付けは昔とは全く違う。
"BOY MEETS GIRL" なんか何年経っても色褪せない1曲だ。2人とも時代を築いた凄いダンサーだと思う。黒っぽい曲を歌うSOULアーティストは元々好きだったが、僕がアフロヘアーにしたのは、当時身近にいたこの2人の真似をしたことが正しくは真相である。1995年に 『ZOO』 は解散、その3年後くらいにバッタリ上野で会った TACO がグループの名前は、実は昔の映画、ドナサマーも出てる 『Thank God It's Friday』 に出て来たDISCOの店名からとって 『ZOO』 なんだと僕に教えてくれた。


                                         2012年5月17日、Donna Summer フロリダで死去。享年63歳。

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                                Barbra Streisand & Donna Summer No More Tears(Enough Is Enough)

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                                     2012年5月20日、Bee Gees のRobin Gibb ロンドンで死去。享年62歳。

                                                    たて続けの訃報。寂しいことです。                        

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                                                          再び合掌


                    追記:2013年1月31日・・・この頁に登場する十代からの親友 KJ が亡くなりました。彼とも ドナサマーをよく聴きました。
                    思い出の1曲はロングヴァージョンの "Donna Summer Try Me, I Know We Can Make It"です。


同じく登場する OT は元々は KJ の親友。彼は30代でミネソタに転勤。その後は段々と会えなくなり、ここ20年は互いに連絡先もわからずじまいで諦めていたところ。人には、「偶然でも再び会うことが出来る何かを鉄人は持ってるよ!」と言われるのですが。KJ の訃報を聞いてから、仕事関連の昔の段ボール箱から出て来た1冊の手帳に OT の 会社 の連絡先が記されていた。いくら自身の素性を明らかにしたとしても、個人情報の管理にはとてもうるさい時代・・・電話したところでミネソタの連絡先など、教えてもらえることなどまず難しいだろう?と思ったが思い切って電話してみた。結論から言うと、残念ながらミネソタの連絡先を教えられることはなかった。しかし目当ての OT の声が電話口の向こうから聞こえてきた。4年前にミネソタから本社に戻ったとのこと、たどたどしい会話は1分くらい2分後には互いに歓びを隠せなかった。メルアドや携帯電話の情報を伝え合った。KJ が亡くなったことを告げると驚いていた。当然だ。3人とも凄く仲が良くて、若くて背伸びしてて・・・痛くて、楽しくて仕方ない・・・それぞれが二人の親友と過ごすことが出来た素敵なあの頃の時間を共有した仲間だったから。


亡くなった人とこの地球上で二度と会うことが出来ないのはとっても寂しくて、辛いこと。でも、その人と思い出が多ければ多いほど、実はコミュニケーションが密に取れていたから寂しいのだと思う。



                     KJ は間違いなく OT と再び会わせてくれるきっかけを与えてくれました。有難う。お前のことは僕も OT も忘れない。



                     "Donna Summer   Could It Be Magic"



                     合掌
by tetujin2011 | 2012-05-19 02:25 | 出来事雑感

ネタ切れかと思ってたけど・・・




懐かしい雰囲気の写真を見つけました。さっさとアフロヘアーに決別して、目指しちゃおっかな?Surfer!地元のヤンキーだった先輩も知らぬ間にSurferになってました。茅ヶ崎 GODDESS のこの広告、憧れましたね。僕自身Surfingをやるきっかけになったシロモノだと思われます。街にはホンモノもニセモノも溢れてましたよ、丘サーファーなんて言葉もはやって。大都市東京の中では、渋谷、六本木、原宿、新宿、吉祥寺、下北沢、自由が丘、蒲田そして横浜、湘南、千葉至る所に同じような人が!池袋、上野、銀座にも。なるほど、皆 POPEYE や Fine を見てたし、Surfshop もいっぱいあった。個人的には、スポーツブティック ミナミスポーツという響きが好きで女の子とよく買い物に行きましたね。ボロボロに剥けた汚い顔して(痛)。


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拾いモンの画像ですが誰もが着ていたSEX WAXのスウェット。

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今はない髪の毛が当時はあって長かったんです。

学生時代の仲間7人で一緒に行った新島はとっても楽し

かった。サーフィンだけ出来れば明日のことなんか何も考

えてなかったし、今思うと責任のない自分だからこそ楽し

めた。迫り来る卒業だとか、就職だとかを忘れるにはもっ

てこいの遊びがサーフィンだった訳です。そこに夜遊びは

DISCOがくっついちゃう訳だから、皆寝てない若者時代。

新島でも、もちろん旅行が終わって東京に戻っても寝ない

で遊べたあの頃・・・皆にもそんな青春時代があったでし

ょ!過去の愛しい時間です。やはり体には魔物が棲んで

いました(笑)。魔物だらけの人もいましたよ(笑笑)。


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そしてここまで完璧に作れる人は凄い、尊敬します。当時の1980年代のDISCOにおけるファッショ

ン、サウンド、お店、流行の小物、ダンス全てが詰まっています。これじっくり見てしまいますね。本

当に興味深いレイミーさんの80’s SURFER DISCO 是非覗いてみて下さい。

感動します。よみがえって来るその時代の解説は秀逸といえるでしょう。素晴らしい完成度です。



ネタ切れかと思ってたけど・・・_a0241725_1345387.jpg



              ネタ切れたかなと思ったけどなんとか書けた。


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               これも拾い物の画像でレオパのマッチ!






 PS: 2013.10.17 貼り付けました。 『日本サーフィン伝説』 。90分番組で流れるように見ちゃいました。坂口憲二がナビゲートする日本の波乗りの歴史、レジェンド、新島、湘南、カルチャー。当
 時の時代を象徴する貴重な映像も出て来て、ドキュメンタリー風味でもあって面白いですよ。波乗りから離れてた人は懐かしいだけじゃないから是非、見てみて。またやりたくなりますよ。





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by tetujin2011 | 2012-03-20 01:37 | 自分航海

記念すべき10回目の更新

043.gifやった!いよいよ二桁10回目の更新を到達致しました。目標100回のうちの1割クリア!まるで仕事?みたいですね、すみません。これも、きっかけを作っていただいた鷲生功さんとこのブログを覗きに来ていただける皆さんのおかげです。有難うございます。


記念すべき10回目の更新_a0241725_227593.jpg
記念すべき10回目の更新_a0241725_22134359.jpg


まもなく51歳になります私、現在の姿はとてもとても人には・・・なんせ今は髪がない!という訳で、髪がありありの10代後半の私でごわす。このドでかい頭はほら、ホラー、嘘、偽りなしの作り話ではない正真正銘のMy Hairで確かに手入れが大変でした。今では、たくさんある痛い思い出の1つですが、電車に乗ると周囲から、奇異な眼差しを向けられてました。しかし、実は心の中では、『東京湾に出現したゴジラを見るような目で見られてるなぁ、ん目立ってる目立ってる』という思いも・・・恥ずかしさもなく実に痛い、痛い。若さは恐ろしいですね、まるで怖いモノなし。改めて今見ても巨大な頭、おめでたい奴です。


『鉄人ホラー!』という立派な名前を拝命したからには、鷲生さんのようないい男じゃありませんが皆さん宜しく御願いしますというつもりで、つまりこんな奴がこのブログを書いている訳です。どうも初めまして040.gif皆さん、これからも宜しくです。


詳しく言ってしまうと、これはたぶん18歳ですね。(最も痛い17歳の頃の爆発的苦痛の画像がありますがそれは決心がついたらそのうちに・・・とにかく恥ずかしい)この時代、とにかく夜な夜なDISCOと呼ばれるところがね大好きでした。昭和テイストプンプンに当時の雑誌には『殺伐とした都会の生活では、ともすれば忘れてしまいそうな、身体を動かし、ビートに乗って、汗を流して踊る喜びとそこに集まる人間とのコミュニケートする喜びを得られるスポットとしてヤングに注目されているDISCO!今、DISCOが熱い』なんて紹介されてます(1976年の週刊プレイボーイ)。スポットとかヤング、当時はみ~んな使ってましたねあなたも、そしてあなたも。覚えあるでしょ。かくいう私も言ってましたよ、間違いなく「死語」ですね。


中学生時分に聞き出したニッポン放送の『糸居五郎のソウル・フリーク』、同じ時期に東京12チャンネルの『ソウルトレイン』をよく見たりしてて黒人のシンガーもダンサーも皆アフロヘアーでしたよ。格好いいと思っていたんでしょうね、シンガーにもダンサーにもその思いは今でもあるんですけど。当時はいつかあんなヘアースタイルやっちゃいたくて、今だと思ってやっちゃった訳です。似合う似合わない別にして。好きだったグループは、若いマイケルが懐かしいジャクソン5、ソウル界の北島三郎ジェームス・ブラウン、今聞いても色褪せないアイズレー・ブラザース、合掌してから聞きたくなるマービン・ゲイ、女性でもダイアナロス&シュープリームスははずせない。ウィルソン・ピケットもテンプテーションズもオージェイズも他いっぱい大好きなアーティストがいます。という訳でDISCO通いのことは、またいつか。


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3枚蔵出ししちゃいました、笑ってください001.gif
最後にこんな頭でもバイトさせてくれたお店の人には感謝してます。
by tetujin2011 | 2012-01-20 12:21 | 自分航海